眼鏡をしなくなってから随分と時間が経つが、以前よりも視界が開けたように感じる。
眼鏡をかけている人間の世界を知りたいからと言って眼鏡をかけていたが、目は元々良い方であり、公言していた理由も本当は違う。
単に年相応に見られないのが嫌で眼鏡をかけていた。
今は見た目の年齢なんて気にしていないし、何よりあの眼鏡は自分でデザインしたものですら無い。
自分の作った物以外に頼っていたのかと思うと気持ちが悪く、衝動のままに眼鏡を机に叩きつけて割ってしまった。
金ならいくらでも持っているし、気にする程の事では無いのだが。
割れた眼鏡の破片は結局どうしただろうか。
油絵に塗り込めてしまったような気もするし、ゴミ箱に捨てたような気もする。
恐らくはどちらでもあり、どちらでも無い。
硝子を油絵に塗り込めるのは筆を痛めるので余り好きではない。
きっと自分のことだから思い付いてもやっていない。
そんなことを考えながら、荒神第一は曇天の空を窓から眺めていた。
曇り空は黒く淀み、邪悪な気配と湿気をもたらしてくる。
窓には雨がぶつかってきては砕け散り、窓ガラスに泣き痕のような模様を刻み付ける。
湿気でしなしなになった紙を選別しながらいつも通り新作について考える。
そういえば、と第一は椅子から立ち上がる。
背の高い紫の男から買い取った女が居た。
この時世ともなると、好き勝手に使えるモデルもほとんど居らず、第一は好きに出来る人間を欲しがっていた。
それは男性でも女性でもよかったのだが、やはり描くとなれば女性の方が良い。
女の名は三上綾という。
元々は違う名の女だったが、この先の面倒事を考えて名を親戚であるかのように改めさせた。
薄く紫がかった深藍色の髪はきっちりと整えられ、おとなしそうな若草色の瞳は庇護欲を誘うといってもいいかもしれない。
第一はその女の絵を描くべく、呼出をかけた。
続く